マハリシ札幌センターblog

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束縛から自由になること 2016June

 「束縛からの自由」 


 一日中考えごとばかりしている、悩み事がある、何か気がかりがあるなど、

想念に頭を悩ますことが続くと何となく消耗しませんか?

 

マハリシは、心のエネルギー消費を最小限にとどめながら、強い想念を生み出すことを「超越瞑想-考える技術(art)」の中で紹介しています。

 

想念が相対界での心の活動を開始する時、束縛や執着から自由な状態を保つことができている状態です。

考えに秩序と知性があり、単に力強いだけでなく、その考えは正しく適切です。

それを「直感」という人もいるし「インスピレーション」「ひらめき」など様々な言葉で表現されるかもしれません。


 さて、考えに囚われたり、執着・こだわりなどは、考える技術が失われている時に陥ります。

心に浮かぶ無益な想念などは、瞑想中の想念と同様に、ややもすると過去の体験やストレスに基づいているものです。

いつの間にかこのように心が過ぎ去ったことに縛られているのです。

束縛的影響の原因が生じるのはどうした訳でしょうか。

 

対象が五感を通して心と結びつけられた時に経験が生じます。

すると、心にその印象が残り、心の本質に影が落ちます。存在(Being)が対象と同一化することで人は経験をするのですが、心に深く印象として刻まれたものがストレスとして蓄積ると、それらが「また経験をしたい」という将来の願望の種子となります。

思考が基になって行動を起こし、それが心に印象を残し、将来の願望になります。

いつまでも延々とこんなサイクルが続きます。

当然のことながら 間違った想念や、堕落的な、役に立たない考えは自分の足を引っ張るものです。

でも、考えるのを止めようと格闘しても徒労に終わる・・・と既に経験済みではないでしょうか。

 

やはり原因にアプローチしなければ何もかわりません。

心が想念を経験している時にも自由を保ち、高次意識という永遠の自由へと至ることがなければ、延々とその経験の印象に引きずられて願望の種子は発芽し、尽きることのない想念に振り回されてゆくことでしょう。

 

しかしもし印象が刻み込まれることがなくなり、ストレスが取り除かれてゆくとどうでしょうか。

純粋性が高まり、徐々に進化を助ける有徳な想念が心を満たすようになります。

ストレスなどの束縛的な影響から自由になる基礎が日々の瞑想によって養われます。心の浄化は、本人に恩恵をもたらすだけでなく、周囲にも調和の波を広げることでしょう。


 ヴェーダ文献が説いているのは、「すべてのことを成し遂げるために“ひとつ”のことを行うというものです。

インドにはこんな格言があります。

「充満性(Fullness)を扱い、完全性を扱い、あなた自身を扱いなさい。」

そこからすべてが扱われます。ウパニシャッドは知識の栄光を次のように歌い上げています。

「総合的知識に開かれない限り限界から逃れることはできない」

人生において限界の中に甘んじる必要はまったくありません。皆さんは限界のない永遠なる存在、ブラフムなのです。」 by マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー

 

さて、瞑想するとしましょうか